名古屋地方裁判所 昭和59年(行ウ)13号 判決 1990年4月27日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告岡田公正の昭和五四年分所得税について被告が昭和五八年三月一日にした更正及び過少申告加算税賦課決定を取り消す。
2 原告岡田剛の昭和五四年分贈与税について被告が昭和五八年三月一日にした決定及び無申告加算税賦課決定を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
(原告岡田公正関係)
1 原告岡田公正(以下「原告公正」という。)は、昭和五四年分の所得税について、別紙一の確定申告欄記載のとおり、確定申告をした。
2 これに対し、被告は、昭和五八年三月一日、別紙一の更正・賦課決定欄記載のとおり、更正及び過少申告加算税賦課決定(以下「本件更正等」という。)をした。
3(一) 原告公正は、昭和五四年六月一日に金五〇万円で売却した競走馬ジェットルミエ号(以下「ジェットルミエ」という。)、同年一二月一一日に金一八万円で売却した競走馬メズーサ号(以下「メズーサ」という。)、同年六月一日に金二〇万円で売却した競走馬タムレ号(以下「タムレ」という。)及び同年一二月三一日に金一五万円で売却した競走馬ワイルドネップ号(以下「ワイルドネップ」という。また、以上四頭の競走馬を合わせて「本件競走馬」という。)を前所有者である原告岡田剛(以下「原告剛」という。)から取得した際、原告剛に対し、右各競走馬につきそれぞれ金一七〇〇万円、金五〇〇万円、金五〇〇万円及び金一〇〇〇万円の現金を交付した。そこで、原告公正は、本件競走馬の取得価額を、それぞれ右交付金額と同額であるとして前記1記載のとおりの確定申告をした。ところが、被告は、ジェットルミエ及びメズーサにつき、右取得価額をそれぞれ売却額と同額の金五〇万円及び金一八万円であるとして本件更正等を行った。
(二) 本件更正等は、ジェットルミエ及びメズーサの取得価額を過小に算定することにより原告公正の所得を過大に認定してされたものであり、いずれも違法である。
4 原告公正は、本件更正等につき、被告に対し、昭和五八年四月一四日付で異議申立てをしたが、同年七月一二日付で棄却され、更に、国税不服審判所長に対し、同年八月八日付で審査請求をしたが、同五九年八月二三日付で棄却された。
5 よって、原告公正は、本件更正等の取消しを求める。
(原告剛関係)
6 被告は、昭和五八年三月一日、原告剛に対し、別紙二の決定・賦課決定欄記載のとおり、贈与税の決定及び無申告加算税賦課決定(以下「本件贈与税決定等」という。)をした。
7(一) 本件贈与税決定等は、原告剛の父である原告公正が原告剛に対し昭和五四年中にジェットルミエ及びメズーサの売買代金として支払った金額合計金二二〇〇万円(ジェットルミエにつき同年二月三日に金一七〇〇万円、メズーサにつき同年六月一日に金五〇〇万円)のうち、原告公正が後に右二頭の馬を第三者に転売した時の売却代金相当額合計金六八万円(ジェットルミエにつき金五〇万円、メズーサにつき金一八万円)を差し引いた残額である金二一三二万円を、原告剛が原告公正から受けた贈与であると認定してされたものである。
(二) 本件贈与税決定等は、売買代金として支払われた金員を誤って贈与であると認定してされたものであり、いずれも違法である。
8 原告剛は、本件贈与税決定等につき、被告に対し、昭和五八年四月一四日付で異議申立てをしたが、同年七月一二日付で棄却され、更に、国税不服審判所長に対し、同年八月八日付で審査請求をしたが、同五九年八月二三日付で棄却された。
9 よって、原告剛は、本件贈与税決定等の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
(原告公正関係)
1 請求原因1は認める。
2 同2は認める。
3 同3のうち、(一)は認め、(二)は争う。
4 同4は認める。
(原告剛関係)
5 同6は認める。
6 同7のうち、(一)は認め、(二)は争う。
7 同8は認める。
三 被告の主張
1 競走馬を売買する場合の価額は、その馬の将来の競馬(以下「レース」という。)における獲得賞金の見込みによって決定されるものであるが、本件競走馬のうち、ジェットルミエ、メズーサ及びタムレは、いずれも、原告公正が取得する直前のレースに出走中にかなり重度の故障をして加療休養中にあったものであり、また、ワイルドネップは、原告公正が取得した当時既に八歳の後半に入っていて、競走馬としての定年まで六か月弱しかなかった上、戦績が下降傾向にあって将来のレースにおける賞金獲得の見込みのない状況であり、いずれの馬も、競走馬としての価値はほとんどないものであった。なお、本件競走馬の経歴等は、別紙三記載のとおりである。
本件競走馬を原告公正が保有していた期間がわずか四か月ないし六か月程度であったこと、その間に本件競走馬の価値の変動をきたす要因が全く認められないこと及び原告公正から第三者への転売は自由市場における競争原理の働いた経済取引であって、その価額は各馬の実勢価格を反映したものであることからすれば、原告公正の本件競走馬の取得価額は、原告公正が本件競走馬を第三者に売却した代金額と同額(合計金一〇三万円)相当であると認定するのがもっとも合理的かつ妥当である。
そうであるとすると、原告公正の本件競走馬を譲渡したことにより生じた所得は別紙四の所得金額欄記載のとおりとなるので、原告公正の昭和五四年分の所得金額及び所得税額は別紙五の被告主張額欄記載のとおりであり、その範囲内でされた本件更正等は適法である。
2 原告公正が、右のように競走馬としての価値がほとんどない本件競走馬を買い受けて原告剛に合計金三七〇〇万円という多額の金員を交付したのは、原告公正の息子である原告剛がその営む事業の経営状態が芳しくなく、昭和五四年初めころには金融業者等からの借入金が金二億円余にも達していて多額の資金を必要としていたこと及び原告公正が当時土地を売却して多額の金員を保有していたことから、同原告が競走馬について公的な評価制度等がないことを奇貨として、原告剛に対し、異常に高額の取引価額を認定し、売買代金の名目で同原告に現金の贈与をしたものである。したがって、原告公正が原告剛に交付した金三七〇〇万円から原告公正の本件競走馬の正当な取得価額と認められる金一〇三万円を差し引いた残額金三五九七万円は、原告公正が原告剛に贈与したものであるというべきである。
一年間という短期間に負傷馬や高齢馬を同一人から四頭も高価で買い受け、いずれも四か月から六か月程度の後に二束三文で転売するということは常識では考えられないところであり、これは、親子間で、恣意的な取引がされたからにほかならない。
四 被告の主張に対する原告らの認否及び反論
1 被告の主張1のうち、ジェットルミエ、メズーサ及びタムレがいずれも原告公正が取得する直前のレースで故障をして加療休養中であったこと、ワイルドネップが原告公正が取得した当時八歳の後半に入っていたこと、本件競走馬の経歴等が別紙三記載のとおりであること(ただし、別紙三-一の事実中、去勢手術を受けた日時及び場所は知らない。)及び本件競走馬を原告公正が保有していた期間が四か月ないし六か月程度であったことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
同2のうち、原告公正が原告剛に対し本件競走馬の代金として合計金三七〇〇万円を交付したこと、原告剛が多額の借入れをしていたこと及び原告剛が原告公正の息子であることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
2 被告は、原告ら間の本件競走馬の譲渡は譲渡を仮装した現金の贈与である旨主張するが、これは、競走馬の特殊な世界や価額に対する無知又は無視に基づく独断と偏見によるものである。
競走馬というのは生き物であり、多額の代金を支払って購入しても、将来レースで多額の賞金を獲得するかどうか全く不明であるし、繊細な芸術品といわれるようにいつ壊れるかもわからないものであるが、中にはレースで何億円も稼ぐ競走馬もいるので、競走馬の取引は、買主において大きな夢をかけ、様々な思惑を秘めて行われている。しかし、現実には、取得代金や経費に見合う賞金を獲得する競走馬は稀であり、昔から競走馬を持つことは道楽であるといわれている。したがって、結果を見て過去の取引の価額を否認する被告のやり方は、競走馬の取引の実情に全くそぐわないものである。
また、競走馬の評価については、客観的な評価基準や評価方法は存在せず、これを評価する機関等もないのであるから、その取引価額は、競走馬という生き物の特殊性を考慮した当事者の思惑によって決定されるのが実態である。このような取引の実情を考慮すると、第三者が取引価額の適否の判断に踏み込むことは原則として許されない。ことに、競走馬の取引価額を否認して課税処分をしようという場合には、国民に対する重大な不利益処分となるのであるから、国税当局の恣意が入らないように、誰がみても合理的な理由があり、公正性及び客観性が担保された評価方法に基づいてされる必要がある。しかし、被告の認定は、客観的に公正な評価というには程遠いものである。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因1、2、3の(一)、4、6、7の(一)及び8の各事実、ジェットルミエ、メズーサ及びタムレがいずれも原告公正が取得する直前のレースで故障をして加療休養中であったこと、ワイルドネップは原告公正が取得した当時八歳の後半に入っていたこと、本件競走馬の経歴等が別紙三記載のとおりであること(ただし、別紙三-一の事実中去勢手術を受けた日時及び場所を除く。)、本件競走馬を原告公正が保有していた期間が四か月ないし六か月程度であったこと、原告公正が原告剛に対し本件競走馬の代金として合計金三七〇〇万円の支払をしたこと、原告剛が多額の借入れをしていたこと並びに原告剛が原告公正の息子であることは、いずれも当事者間に争いがない。
二 本件訴訟の争点は、原告らが、原告公正が原告剛に支払った現金合計金三七〇〇万円が本件競走馬の購入代金であり、取得価額である旨主張するのに対し、被告は、右金員のうち取得価額として認められるのは金一〇三万円だけで、残額の金三五九七万円は原告公正から原告剛に贈与されたものである旨主張している点にあるので、まず、競走馬の取引価額ないしその決まり方について検討するに、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 競走馬の収益性、すなわち、レースにおける獲得賞金額は個々の競走馬によって大きく異なるものである。しかし、競走馬は、怪我その他の故障によって競走馬としての価値を完全に喪失してしまうことも少なくなく、また、他方、競走馬の生産及び保有には多額の経費を要する。したがって、競走馬を保有することは、それによって大きな利益を挙げることもあるが、反面、損をすることも多く、それ自体が賭けであり、一種の道楽でもあるといわれている。
このようなことから、競走馬の取引価額については、不動産等のように客観的な評価基準が確立されておらず、買主の勘や好み等の主観的な要素や売主と買主の駆引きによって左右される一面がある。
2 しかしながら、競走馬の取引価額も、通常は、いわゆる常識の域を出るものではなく、一定の評価方法と取引価額の相場が存在している。すなわち、まだ競走馬として登録されていない当歳馬、二歳馬等については血統及び馬格が評価の基本となり、生産に要した費用を勘案して取引価額が決まるが、これに対し、現役の競走馬であれば、血統及び馬格よりも、むしろ、過去の成績、レースにおける獲得賞金額、年齢及び調子が上昇傾向にあるのか下降傾向にあるのか等の諸事情を総合して、当該競走馬が今後レースにおいてどれほどの賞金を獲得することが見込まれるかということが評価の基本となり、これに厩舎に競走馬を預託する費用が一か月当たり金二〇万円程度かかること及びレースにおける獲得賞金額のうち馬主の手に入るのは約八割であること等を参酌して、採算が採れる範囲内で取引価格が決定されるのが通例である。
3 したがって、現役の競走馬については、怪我をして出走できない状態にあるものが取引される例は少なく、特に、怪我をして間もない時期には、その怪我の程度及び回復の見込みが明らかでない場合が多いことから、食肉用、乗馬用等に供する目的で取引される場合は別として、競走馬として取引される例はほとんどなく、取引される場合には、食肉用の馬と大体同様のいわゆる二束三文の価額(当時、食肉用の馬の価額は、一頭当たり金一五万円程度であった。)で譲渡されるのが通例である。また、怪我が治る見込みがある程度立っているとしても、競走馬の場合には、怪我が一応治っても、能力検定に合格し、レースに出て良い結果を残せる状態にまで回復するという保証はないので、通常は、実際にレースに出走するようになるまでは、いったん下落した価値は、回復するものではない。
4 また、過去のレースにおいて高額の賞金を獲得した競走馬であっても、定年まで残り少ない場合には、必然的に、今後レースに出走して賞金を獲得する機会が少ないわけであるし、まして、調子が下降傾向にあって獲得賞金額が少なくなってきているようなときには、将来多額の賞金を獲得する見込みが乏しいのであるから、通常はほとんど取引の対象にはされず、取引される場合であっても、価額は低いものとなる。
5 以上のような取引価額の決まり方は、ある程度の経験のある馬主の間ではほぼ常識となっているものである。
三 以上認定の事実を前提に本件競走馬の取引についてみるに、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 ジェットルミエについて
(一)ジェットルミエは、昭和五一年三月三一日出生(同五四年当時は三歳馬)のサラブレッドの雄であり、同五一年七月三日、原告剛が取得価額五三二万五〇〇〇円で保有馬として計上している。昭和五三年六月二八日から同五四年一月八日までの間に、一二回レースに出走し、入賞は二着、三着及び四着が各一回、五着が二回であり、レースにおける獲得賞金額は合計金七四万五〇〇〇円であった。
(二) ジェットルミエは、昭和五四年一月八日のレース中に、左前繋靭帯炎を発症した。右傷病について、同月一七日、約四週間の療養が必要と診断され、その後、同年六月一日に原告公正が同馬を他に売却するまでの二〇週間療養を要したとして、愛知県地方競馬会主催者協議会からこの間の傷病見舞金の支給がされている。この間、ジェットルミエは、岩田厩舎で療養し、レースには一度も出走していない。
(三) 右傷病発生後療養期間中の昭和五四年二月三日、ジェットルミエは、原告剛から原告公正に譲渡され、同日、原告公正は、原告剛に対し、金一七〇〇万円を交付した。右金額は、原告剛と、原告公正の妻である岡田小夜子及びその三男の岡田協の三名が相談して決めたものである。なお、原告公正は、昭和五三年に心筋梗塞の発作を起こして後療養中であり、本件競走馬の取引は、実際には、同人の意を受けて、主に、岡田小夜子及び岡田協が行った。
(四) ジェットルミエは、気性が激しく、悪癖があって調教が困難であったことから、昭和五四年三月二一日、去勢手術が施された。なお、右のような去勢手術は、特に競走馬の価値を減じるものではない。また、このほか、原告公正がジェットルミエを取得した同年二月三日から他に売却した同年六月一日までの四か月弱の間に、同馬について特段の減価事由は生じていない。
(五) 岡田小夜子及び岡田協は、ジェットルミエの調教について、同馬の預託先である岩田厩舎に対して不満があったことから、同馬を売却することとし、昭和五四年六月一日、新美勝幹に対し、これを金五〇万円で譲渡した。右売却金額については、当初当事者間で思惑くの違いがあったが、最終的には、当事者双方で一応相当な金額として合意に達したものであった。
2 メズーサについて
(一) メズーサは、昭和五〇年五月一三日出生(同五四年当時は四歳馬)のアラブの雌であり、同五〇年一〇月一日、原告剛が取得価額金二三〇万円で取得している。昭和五二年一一月二日から同五四年一月二四日までの間に、二七回レースに出走し、入賞は一着四回、二着一回、三着六回、四着二回及び五着一回であり、レースにおける獲得賞金額は合計金三一三万二〇〇〇円であった。
(二) メズーサは、昭和五四年一月二四日のレース中に、右第三中手骨遠位端亀裂骨折を発症した。右傷病について、同月二六日、約一六週間の療養が必要と診断され、長期療養が必要なことから、三重県北勢町の育成牧場に預託されて療養を始めた。メズーサは、同年七月又は八月ころ、右育成牧場から磯村厩舎に戻されたが、右前跛行が認められたことから、同年九月一日に名古屋競馬場弥富トレーニングセンターの獣医室に診断申込みをして同月七日にレントゲン検査をしたところ、右前種子骨剥離骨折及び右第三中手骨遠位端骨膜炎により跛行するものと認められ、出走不能と診断された。なお、この間、メズーサは、レースに一度も出走していない。
(三) 右傷病発生後療養期間中の昭和五四年六月一日、メズーサは、原告剛から原告公正に譲渡され、同日、原告公正は、原告剛に対し、金五〇〇万円を交付した。
(四) メズーサは、前記(二)の出走不能の診断を受けた後、北海道の牧場に送られ、昭和五四年一二月一一日、原告公正から城戸泰蔵に対し、繁殖馬として売買代金一八万円で譲渡された。メズーサは、血統の優れた馬であったが、当時は競走馬の生産が過剰気味であったこともあって、金一八万円という代金額は、相当なものであった。
3 タムレについて
(一) タムレは、昭和五〇年三月八日出生(同五四年当時は四歳馬)のアラブの雄であり、同五〇年七月三日、原告剛が取得価額金三五八万五〇〇〇円で保有馬として計上している。昭和五三年一月四日から同年一二月一八日までの間に、八回レースに出走し、入賞は一着四回、二着一回及び四着一回であり、レースにおける獲得賞金額は合計金二三九万三〇〇〇円であった。
(二) タムレは、昭和五三年一二月一八日のレース中に、左寛跛行を発症した。右傷病は、左後足の上の腰部の炎症により跛行する症状を示すものであった。右傷病について、同年六月一日、原告公正が同馬を白井民平に売却するまでの二三週間療養を要したとして、愛知県地方競馬会主催者協議会からこの間の傷病見舞金の支給がされている。タムレは、右発症後間もなく栗田厩舎から北海道の牧場に移されて療養し、その後レースには一度も出走していない。
(三) 右傷病発生後療養期間中の昭和五四年一月四日、タムレは、原告剛から原告公正に譲渡され、同日、原告公正は、原告剛に対し、金五〇〇万円を交付した。
(四) タムレは、昭和五四年六月一日、原告公正から白井民平へ、映画撮影に使用するための馬として売買代金二〇万円で譲渡された。右の金二〇万円という代金額は、相当なものであった。
4 ワイルドネップについて
(一) ワイルドネップは、昭和四七年五月三日出生(同五四年当時は八歳馬)のサラブレッドの雄であり、同五二年一月四日(当時は六歳馬になったばかりであった。)、原告剛が取得価額金四〇〇万円で取得している。ワイルドネップは、昭和五〇年四月二七日から右原告剛の取得時までの間に、三〇回レースに出走し、入賞は一着一二回、二着七回、三着五回、四着一回及び五着三回であり、レースにおける獲得賞金額は合計金一一五三万五〇〇〇円であった。更に、原告剛が取得してから昭和五四年七月二日に原告公正に譲渡するまでの間に、ワイルドネップは、六三回レースに出走し、入賞は一着五回、二着六回、三着五回、四着一二回及び五着九回であり、獲得賞金額は合計金二八八三万五〇〇〇円(通算獲得賞金額は、合計金四〇三七万円である。)であった。
(二) 昭和五四年七月二日、ワイルドネップは、原告剛から原告公正に譲渡され、同日、原告公正は、原告剛に対し、金一〇〇〇万円を交付した。
(三) 当時、愛知県内における地方競馬の競走馬の定年は八歳であったので、原告公正がワイルドネップを取得した時点では、ワイルドネップがレースに出走できるのは昭和五四年末までのわずか六か月足らずの期間であった。なお、中央競馬には競走馬の定年はないが、ワイルドネップの年齢、成績等からいって中央競馬入りは現実には望めない状況であった。
(四) ワイルドネップが八歳になってから原告公正が取得するまでの約六か月間の成績は、出走一二回で、入賞は一着、二着、三着及び五着各一回並びに四着二回であり、レースにおける獲得賞金額は合計金六九〇万円であった。しかしながら、昭和五四年四月二二日以降の五レースはすべて入賞を逃し、その着順を月日順にいうと、一〇頭中九着、九頭中九着、八頭中八着、七頭中七着及び九頭中九着というように惨敗しており、調子は明らかに下降傾向にあった。また、ワイルドネップは、同年四月二二日のレース中に、後続馬の前足の蹄で左後足を引っかけられ、軽症ではあったが、左後腱部挫創の負傷により約二週間の療養が必要と診断されていた。
(五) ワイルドネップは、原告公正が取得後昭和五四年一二月三〇日までの間に、レースに一一回出走し、入賞は四着四回及び五着一回であり、獲得賞金額は合計金一九一万円であった。
(六) ワイルドネップは、昭和五四年一二月三一日、定年を迎えると同時に、原告公正から岩花重男へ、草競馬に使うための馬として売買代金一五万円で譲渡された。右の金一五万円という代金額は、相当なものであった。
四 前二項で認定した事実を踏まえて、前記二冒頭記載の本件訴訟の争点について、以下検討する。
1 ジェットルミエ、メズーサ及びタムレは、原告剛から原告公正に譲渡された当時、いずれも直前のレース中に傷病を発症して療養中であったものであり、当該傷病が治癒するか否か、治癒するとしてもその時期、また、治癒後にレースに出走できる程度にまで回復するか否かということが必ずしも明らかではない状況であった(実際、右三頭とも、原告公正が保有しているうちは一度もレースに出走することができず、メズーサ及びタムレは、その後も二度とレースに出走することはなかった。)。したがって、右のような状態にある競走馬が競走馬として取引されることは、それ自体異例のことであるし、取引されるとしても、通常であれば、いわゆる二束三文の価額で譲渡されるべきものであった。ところが、右三頭の馬は、ジェットルミエが金一五〇〇万円、メズーサ及びタムレが各五〇〇万円という極めて高額の代金で譲渡されたということになっているのであるから、右の取引は、極めて異常で不自然なものというほかない。
2 また、ワイルドネップは、原告剛から原告公正に譲渡された当時、既に八歳馬の後半に入っており、競走馬としての定年まで六か月足らずとなっていた上、直前五レースは出走馬中ほとんど最下位で、調子は明らかに下降傾向にあり、将来レースにおいて多額の賞金を獲得することは到底望めない状況であった。したがって、右のような状況にある競走馬が取引の対象となることは異例のことであるし、取引されるとしても、通常であれば、価額は低いものとなるはずであった。ところが、ワイルドネップは金一〇〇〇万円という極めて高額な代金(原告剛が六歳馬になったばかりのワイルドネップを取得した価額が金四〇〇万円であったことに比べても、異例の高額代金である。)で譲渡されたということになっているのであるから、右の取引は、極めて異常で不自然なものというほかない。
3 他方、そもそも、何故右のような状況にあった本件競走馬を原告公正が原告剛から高額の代金で買い受ける必要があったのかという理由については、原告らから合理的な主張・立証はない。また、右取引ないし価額決定に関与した岡田協も、同人の証言中で、何故原告公正が本件競走馬を原告剛から半年ぐらいのうちに次々と高額で買い受ける必要があったのかという質問に対して、当初は沈黙を続け、その後に、「原告公正は原告剛以外の家族を代表しており、原告剛の経営に係る牧場の運営は原告剛の結婚後原告公正の次男である岡田司が従事し、家族が力を合わせてやっているので、馬を含めて原告剛から原告公正が買い取る必要があった」という趣旨の証言をしただけで、合理的な説明をすることができなかった。
4 これに対し、前記争いのない事実と<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告公正の長男である原告剛は牧場経営を行っていたが、その実際の運営は原告公正の次男である岡田司が中心となって行っており、原告公正、岡田小夜子及び岡田協などの家族も手伝いをすることがあった。しかし、昭和五四年当時、競走馬が生産過剰気味で売上げ不振だったことから、右牧場の経営は不振で赤字が累積しており、原告剛は、同人及び原告公正所有名義の不動産を担保にするなどして、多額の借入金債務を負っていた。本件競走馬の代金として原告公正から原告剛に交付された金員の一部は右債務の返済に充てられた。
(二) 原告公正は、原告剛から本件競走馬を買い受けるに先立って、その所有不動産を売却しており、原告公正が原告剛に交付した金員は、右不動産売却代金を資金とするものであった。
(三) 本件競走馬は、それぞれ昭和五四年一月から七月までの間に別々に原告剛から原告公正に譲渡され、原告公正から原告剛に金員の支払がされているが、右金員の交付は、原告公正に売却土地の代金の内金なり残金なりが入って資金ができる都度、適当な時期を見計らってされたものである。
(四) 原告剛及び岡田小夜子は、馬主会主催の税務申告説明会に出席し、土地を売却した譲渡益と馬を売却した譲渡損失は相殺できるという説明を聞いていた。
(五) 原告公正の所得税確定申告においては、分離長期譲渡所得として課税の対象となるべき土地売却による所得金額四七〇〇万〇五七五円にほぼ見合う形で、原告剛から買い受けた本件競走馬等の譲渡等に係る損失が金四七二七万三三三四円であると計上されており、その結果、課税所得金額は総所得金額についても分離長期譲渡所得金額についても零であり、税額も零であるとされている。
5 以上を総合して考えると、原告剛と原告公正の本件競走馬の売買は、原告公正が土地売却によって取得した金員を原告剛に交付して原告剛が牧場経営に関して負っている多額の債務の返済等に充てるとともに、原告公正が土地売却による所得について課税されるのを回避することを目的として、実体に沿わない異常に高額の代金を設定してされたものと認めることが相当である。したがって、原告公正から原告剛に本件競走馬の売買代金の名目で交付された金員のうち、適正な取得価額と認められる金額を超える部分については、原告公正から原告剛に対して売買代金を仮装してされた贈与であると認めるのが相当である。
ところで、原告公正の本件競走馬についての適正な取得価額は、ジェットルミエ、メズーサ及びタムレについては、原告公正が右各競走馬を第三者に売却した際の売買代金額と同額であると認めるのが相当である。すなわち、前記三の1~3に設定のとおり、右三頭の競走馬については、いずれも、これらを第三者に売却した際の売買代金額は相当な金額であったと認められるところ、原告公正が右三頭の競走馬を取得した当時、右各馬は傷病により療養中で出走の目途が立っておらず、通常は取引の対象になるとしても二束三文の価額でしか取引されないものであったし、更に、原告公正が右三頭の競走馬を保有していた期間はわずか四か月ないし六か月にすぎなかった上、右保有期間中に、右競走馬のいずれについても特段の減価事由は生じていないのであるから、右三頭の競走馬の取得価額は、ジェットルミエにつき金五〇万円、メズーサにつき金一八万円、そしてタムレにつき金二〇万円と認めることが相当である。
これに対し、原告公正のワイルドネップについての適正な取得価額は原告公正が岩花重男へ売却した価額と同額の金一五万円と認めることはできないというべきである。確かに、前記2記載のとおり、原告らの主張する取得価額金一〇〇〇万円は不当に高額であるが、原告公正が取得した当時、ワイルドネップは残り六か月足らずとはいえ、レースに出走して賞金を獲得する可能性があった(実際に、前記認定のとおり、一一回出走して合計金一九一万円の賞金を獲得している。)のであるから、競走馬として定年を迎えて、賞金のない草競馬用に売却された際の代金額よりは高い金額を取得価額として認めることが相当である。しかしながら、他方、ワイルドネップの年齢、調子が下降傾向にあったこと等を考慮すると、右取得価額を最大限高く認めるとしても、原告剛が六歳馬になったばかりのワイルドネップを第三者から取得した際の取得価額である金四〇〇万円を超えることはないというべきである。
五 以上のとおりであるから、原告公正の本件競走馬を譲渡したことによる所得金額は、ジェットルミエ、メズーサ及びタムレについては別紙四の所得金額欄記載のとおりとなり、また、ワイルドネップについては、取得価額を金四〇〇万円として計算すると、未償却残高は金八〇万円で、所得金額はマイナス金六五万円となるから、合わせてマイナス金五六万七三三四円となる。したがって、原告公正の昭和五四年分の競走馬の譲渡による所得金額はマイナス金一八八九万七七五一円となるので、土地等の長期譲渡所得の金額四八〇〇万〇五七五円から右損失額及び特別控除額一〇〇万円を控除した結果得られる分離長期譲渡所得の金額は金二八一〇万二八二四円となる。そうであるとすると、分離長期譲渡所得の金額を金一九七二万七〇七四円としてされた本件更正等は、いずれも適法であるということができる。
また、原告公正が原告剛に本件競走馬の売買代金の名目で交付した金員合計金三七〇〇万円のうち、本件競走馬の正当な取得価額と認められる金額合計金四八八万円を差し引いた残額金三二一二万円は、原告公正が原告剛に贈与したものというべきであるから、贈与税の課税価額を金二一三二万円としてされた本件贈与税決定等は、いずれも適法であるということができる。
六 よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 浦野雄幸 裁判官 杉原則彦 裁判官 岩倉広修)